近現代建築【モダニズム建築】散歩 ~前川國男 自邸~

前川國男自邸

建築士試験にもよく出題される近現代建築は、インテリアコーディネーター試験でも出題されています。

日本の近現代建築は、災害や劣化によって多くの貴重な歴史的建造物が失われてきましたが、実際に中に入って見学できる建物も残っています。

そのうちの一つ、木造モダニズムの傑作と言われる、前川國男 自邸を見に行ってみませんか。

目次

はじめに、二つの意味がある、近代建築

日本では、近代建築という言葉には2つの意味があります。

1つは、モダニズム建築 (英:Modern Architecture) と呼ばれる、産業革命以後の社会の建築のこと。モダニズム建築とも呼ばれます。

これらは、ギリシャ、ローマ、ゴシック、といった過去の様式を否定し、機能性や合理性を重視して設計されました。鉄やガラス、コンクリートなどの、工業化された材料を使って建てられた建物です。

2つ目は、明治時代に輸入されて建てられた、煉瓦造の建築です。

明治政府は、近代化のために、外国人建築家を招聘しました。しかし彼らは、権威と伝統を受け継ぐ側の建築家で、モダニズム建築を目指した建築家とは違いました。

代表的な煉瓦造の東京駅は、日本の近代化を象徴する建築ですが、モダニズム建築とは異なります。

前川國男の自邸 

設計:1942年(昭和17年)

前川國男の自邸は、東京都西部の小金井市にある、江戸東京たてもの園の中に移築されています。もともとは、1942年、品川区上大崎に建てられましたが、自邸を建て替える際に解体され、材料は軽井沢の別荘に保管されていました。

木造建築ならでは、日本建築の素晴らしいところですね。その後、江戸東京たてもの園内に移築されました。

それでは、江戸東京たてもの園にある、前川國男自邸に向かいましょう。その間に、前川國男についてご紹介します。

前川國男(1905~1988)ってどんな人?

戦前戦後の日本のモダニズム建築をリードした、建築家の一人です。日本人として初めてル・コルビュジェに弟子入りし、2年間働いた後に帰国。

その後フランク・ロイド・ライトの弟子であるアントニン・レーモンドの元でも働き、1935年、自身の設計事務所を設立しました。

ル・コルビュジェとの関わり

新潟に生まれた前川國男は、1928年(昭和3年)東京帝国大学(現在の東京大学)の卒業式の夜、夜行列車に飛び乗って神戸へ行き、そこから船で大連へ渡りました。

鉄道を乗り継いで17日間かけてパリまでたどり着き、そのままル・コルビュジェの事務所に入って2年間修業しました。これはコルビュジェへの傾倒ぶりをあらわす、とても有名なエピソードです。

アントニン・レーモンドとの関わり

レーモンドは、戦前戦後、44年間日本に滞在し、自然と風土に根差した、実用的で美しい建物を作り出した建築家として知られています。

東洋と西洋を融合させた独特なモダニズムを日本につくり出していく中で、前川國男は大きな役割を果たしました。

自邸の見どころ

外観

急勾配の切妻屋根と、木枠の窓が特徴的な建物が見えてきました。左右対称で、分かりやすいはっきりとした正面をもった建築です。

外壁は切り妻の大屋根に縦板張りと伝統的な仕様に見えますが、幾何学的な格子窓や灯り障子などが大胆に配置された、モダニズムの造形となっています。

当時は戦時下で、住宅の建坪は30坪以下に制限されていました。金属も不足する中で、限られた建築資材を使って建てられました。

インテリア

最大の見所は、家の中心にあるリビングです。内部は吹き抜けの居間を中心に、書斎・寝室を配したシンプルな間取りになっています。

外観から見た通り、南側の壁は、上から下まで丸ごと窓になっています。

大きな窓から光が入り、開放感にあふれたとても明るい空間です。高窓の下部に入れられた障子や、壁に配された地袋など、モダニズムの造形の中にも、和の要素が見られます。

広々とした空間は、とても制限された面積で建てられたとは思えません。

また、金属が不足していたので、窓やサッシの車輪、レールに至るまで、すべて木材が使用されているそうです。家の中心となる円柱は電信柱を使用したのだとか。

リビングから階段を上がると、ロフトがあります。大きな吹き抜けと背後の中二階からなる構成は、ル・コルビュジェが得意として繰り返し用いた、スタジオ・ハウスの形式です。狭いながらも、落ち着いた、とても居心地のよい空間になっています。

ロフトの下は、ダイニングスペースになっています。ダイニングテーブルは、前川國男自身がデザインしたものです。

その他にも、書斎、真っ白でモダンにまとめられたキッチン、バスルームなど、みどころがいっぱいです。

前川國男-自邸ダイニング
(画像出典:江戸東京たてもの園HP

この家の歴史

1942年、目黒に建てられた当時、前川は独身で、お手伝いさんの親子が住み込んでいました。

1945年3月、東京大空襲により、銀座にあった前川の事務所が消失してしまいました。しかたなく、この自宅が前川の事務所になりました。

居間と階段を上がったロフトには、スタッフの製図板が所狭しと並んでいたそうです。十数人の若いスタッフ達が朝から晩まで図面を書き、戦後の名作、紀伊国屋書店、神奈川県立音楽堂・図書館、日本相互銀行などがここから生まれました。

数か月後、前川國男は結婚し、ここに夫人もやってきました。お手伝いさん親子、そして前川夫妻、ぎゅうぎゅう詰めだったことでしょう。

1954年、事務所ビルが完成、やっと自宅が専用住宅となりました。戦争末期から戦後の10年近く、設計事務所として使われた後のことでした。

1973年、自宅を鉄筋コンクリートで建て直すことになりました。自宅は前述のとおり、解体されて、材料は軽井沢の別荘に保存されていました。

前川國男自邸 まとめ

前川國男 自邸 いかがでしたか?

木造のモダニズム建築がこうして残っていることは、大変貴重です。ぜひ実際に訪れて、空間を感じてみてください。

江戸東京たてもの園について

江戸東京たてもの園
(画像出典:江戸東京たてもの園HP

江戸東京たてもの園 (tatemonoen.jp)

東京都は、1993年(平成5)東京都江戸東京博物館の分館として、敷地面積約7haを擁する「江戸東京たてもの園」を開設しました。

当園では、現地保存が不可能な文化的価値の高い歴史的建造物を移築し、復元・保存・展示するとともに、貴重な文化遺産として次代に継承することを目指しています。

江戸東京たてもの園へのアクセス

R中央線 武蔵小金井駅、東小金井駅、西武新宿線 花小金井駅からバスがでています。

たてもの園の中は、センターゾーン、東ゾーン、西ゾーンに分かれ、さまざまな建築様式の建造物を見学できるようになっています。また、桜や紅葉などさまざまな植物が植えられ、季節を楽しむことができます。

園内にはレストランやカフェもありますので、お散歩がてら、ゆっくり建築散歩を楽しんではいかがでしょうか。

[参考文献]
『日本の近代建築ベスト50』 小川格、新潮新書、2022 

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